KY1893のただの日記

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クリスマスがどう頑張っても・・・

クリスマスがどう頑張っても「男女のイベント」になる歴史的理由

キリスト教の国だって、そうでもないのに…
クリスマスイブに、なぜ、男女で過ごさないといけないのか。
不思議な風習である。
恋人がいたら、一緒に過ごさないといけないとされている。
つまり、彼女がいるのに、その日、別の男女チームでのパーティなどに行くと彼女からぶっとばされてもしかたがない、というふうに決められている。じっくり考えると意味がわからないが、こういうものをじっくり考えてもしかたがないので、ただ決まりを守るしかない。
かつてはもっと強制力があった。
とくに1980年代から1990年代にかけては、「クリスマスを一緒に過ごすためだけに恋人を見つける」という動きもあった。恋人がいないのにレストランを予約する、ということもあったし、クリスマスイブのために夏からアルバイトを続けていた、という学生もいた。それほど恋人の日としての力が強かった。

いまはそこまでではないにしても、恋人の日である前提は揺らいではいない。
彼女がいるのに、ほったらかして遊びにいったら、ものすごく怒られてもしかたがない。後日、彼女の友人たちに囲まれて人民裁判に掛けられても受け入れるしかない、という空気はある。
しかも、漏れ聞くところによるとキリスト教国ではあまりそういう風習はないらしく、この仏教徒の多いとおもわれる日本国において、そういう意味不明の強制があるというのが、なかなか腑に落ちないところである。

起源は、バブルより遥か前にある
理由をさぐっても、たぶん、意味はない。
実感として、そしてかつてこの歴史を調べた者としては、「1980年代に女性がそう決めたから」というのが説明できる限度である。その決定が圧倒的な支持を受けてしまったので、いまだに続いているばかりである。
クリスマスの歴史を調べたところ、私が見るかぎり「恋人たちの夜」と決められたのは1980年代の前半である。強く特定するのなら、1983年の雑誌an・anによる記事から、あたりだろう。それ以来、女性は「クリスマスイブは彼女と一緒にいるよう」と強く望み、男性はそれを受け入れるしかなくなった。それは現在も続いている。
ただ、「男と女のクリスマス」というポイントにかぎっていえば、日本ではもっと古くから始まっていた。
ちょっとそのことを書いてみようとおもう。

大正天皇崩御というきっかけ
クリスマスというイベントは明治の昔から祝われていたが、一般庶民が派手に大きく騒ぐようになったのは、昭和に入ってからである。
大正天皇崩御されたのは1926年の12月25日だった。
戦前の祝日には、天皇家の祭事が取り入れられていた。
先帝が崩御された日は、祭日となる。忌日として国民も休むのである。国民全体での法事のようなものだ。先帝を偲んで、毎年、休む。
1927年(昭和2年)より、12月25日は、休みとなった。
1947年(昭和22年)まで(占領軍によって日本の祝日が変えられるまで)12月25日は休みだった。毎年、クリスマスが休みであり、イブは休前日だった。
それによってクリスマスは異様な盛り上がりを見せる。
先帝崩御の日だから、大人しくしていたほうがいいとはおもうけど、そのへんはいまも昔も変わらない。今日は何で休みなのかよくわからないまま、休みは休みだからと、みんな騒ぎ出した。眉を顰める人たちもいたが、騒ぐ人たちは気にしない。

狂奔の昭和初期
昭和にはいって、クリスマスはそれまでと違う賑わいを見せた。
当時は「ジャズの時代」だった。
第一次世界大戦が1918年に終わり、戦場とならなかったアメリカの享楽文化が華開いていた。「ローリング・トゥエンティーズ」と呼ばれる狂瀾の20年代文化である。
ロスト・ジェネレーションと呼ばれる若者たちの文化でもあった。ロスト・ジェネレーションは“失われた世代”というカッコいいものではなく、「自堕落な世代」という揶揄の言葉でしかない。自堕落な文化が華開いていたのだ。
ジャズが流行り、それに合わせた激しい踊りが盛んになった。クラシックミュージックに乗った優雅な舞踏を愛する世代からは、顰蹙を買った。また映画がトーキーになり人気を博す。スターがどんどん生まれる。狂奔の時代だった。アメリカは好景気だった。日本もそれに追随するように景気が良かった。
第一次世界大戦に参戦しながら戦地にならなかったという点においては、日本も同じである。第二次大戦は、その生き残り二国の衝突でもあった。

クリスマスはもともと輸入された都市の祭りである。
日本の土俗的存在と何のつながりもない祭りで、だから都市部で流行した。
キリスト教は何だかよくわからない」という気分がもとになっている祭りである。何だかよくわかったら、たぶん、こういう騒ぎかたはできない。明治のころから始まったクリスマス騒ぎは、昭和に入って本格的に「バカ騒ぎ」になって、現代につながっている。
近代日本にはどうやら「西洋ふうのお祭りの日」というのが必ず存在していなければならないようである。それはずっとクリスマスが担ってきた。近年ではハロウィンも少し分担している。

ダンスホール」という装置
クリスマスの日は洋風に過ごす。
西洋的に過ごすということが、大事なのだ。そういう祭りだからだ。
近代社会になってから、日本式だけでは世界に通用しないとおもい、適宜、西洋的なものを取り入れるようになっていったからだろう。「西洋祭り」には、12月のクリスマスが選ばれた。よくわからないが、そういうことのようである。

昭和に入り、クリスマスは休日となり、ジャズ文化と融合した。
クリスマスはをカフェーやダンスホールで過ごす、というスタイルが大流行した。
ダンスホールと言っても、男女で行って好きに踊る、というものではない。男女で行ってもいいのだが、ふつうは男性だけで行く。店には店の用意した女性ダンサーがいて、彼女たちと一緒に踊るのだ。
ただダンサーさんの数は限りがあるので、混んでる日だとなかなかまわってこない。
そういうものらしい。

吉原遊郭でも、遊女がひと晩に何人かの客を取り、それぞれ部屋に割り振ったまま、なかなか訪れない、ということがあったらしいが、それと同じである。それを「回しをとる」というのだが、ダンスホールでも似たようなことがあったらしい。ダンスホールで「回し」を取られるなんてのは、ちょっと笑ってしまう。
この時代から、クリスマスは「男と女」のものになっていたのだ。

吉原の祭りの「洋風版」?
洋風の女遊びの夜、ではあるが、男と女の夜であるのには違いない。
吉原遊郭には「紋日(もんび)」というのがあって、つまり遊郭イベントの日である。

雛祭りや、お花見、七夕などなど、日本古来のイベントの日にはまた吉原ならではのイベントがあり、馴染みの客は遊女のために出向かなければいけなかった。いけないということではないが、まあ、遊び人なら、そういう日に行っていつもより余計な金を払う、というのが求められていたのだ。求められたら行くしかない。
どうも昭和のダンスホール、カフェのクリスマスは、そういう「吉原の紋日の洋風版」という感じがする。
「クリスマスだから、ひとつ、洋風の女給のいる店にいって、わーっと騒ごうではないか」
若旦那と八五郎熊五郎がそう言い合って、この日は吉原に行かずに銀座か新宿に出向いていったのだ。
男の遊興の日として、クリスマスは盛んになっていった。
「男女のクリスマス」を始めたのは、男性だったのだ。
やがて昭和十年代は戦争が始まり、クリスマスはいったん沈静化する。

恐ろしくカネを使っていた時代
敗戦後すぐに復活する。
これまた「ジャズとバーとキャバレーのクリスマス」である。
銀座や新宿の歓楽街に男性客が集まって、大騒ぎをした。
バーやキャバレーはクリスマスパーティ券を高額で売りつけ、またそれをみんな買っていた。
たとえば1958年(昭和33年)の記事では「1枚1万円のクリスマスパーティ券が売れずに不景気だ」と銀座のバーのママが嘆いているものがあった。「1枚3500円のものが最高」とのコメントが載ってるが、60年前の金額としてはべらぼうである。

当時の大卒初任給が1万円少々(1万1千円とか、1万3千円あたり)の時代に、パーティ券が1万円である。(売れてないけど)。2018年の大卒初任給は20万円少々だから、いまでいえば、「20万円のパーティ券が売れない、売れたのは7万円の券」と言ってるようなものだ。ぼるにもほどがある。
今年は売れてないという嘆きなので、1957年や1956年はそれでも売れていたということなのだろう。なんだかとても凄まじい。おそらく会社経費で遊んでいたんだろうけれど、コメントしようがない世界である。

どうしても「男女の日」になってしまう
クリスマスは、どうやら大正末年から(1920年代に入ってから)男女のものになっていた。
クリスマスは「男の遊びの日」だったのだ。
吉原遊郭も1958年にはなくなり(吉原だけではなく日本中の全遊郭がなくなったんだけど)、クリスマスイブの大騒ぎは沈静化していく。高度成長期になると、みんな真面目に働き、クリスマスイブに20万円の散財することもなくなり、7万5千円の散財もなくなり、家に帰るようになった。1960年代は「ホームクリスマス」がふつうとなり、クリスマスは子供たちの日へと戻った。
それから20年たって、およそ1960年ごろに生まれた女性たちによって、「クリスマスイブは女性をもてなす日」と宣言された。
「クリスマスの夜は、日本的ではない祭りをおこなうもの」という空気がもともとあり、それはどうしても「男女の日」となっていってしまうようだ。
「異教の祭り」であるため、日本的ではないものを探したところ、若い男女の日にするのがいい、ということになったのだろう。何だか、八百万の神も一緒にそう考えてくれてるような気がしてしまう。
エスさまが神の子として地上に降り立った日なのだ、と真剣に祝うか、それができないのなら、別の祭りにするしかなかったのである。
まあ、ぼちぼち、がんばっていくしかない。

 

皆さんはどう思いますか、クリスマスて子供達えのイベントだと

思いませんか。私にはよく分かりませんです・・・   by・KY